障害者雇用について

2023.02.08 お知らせ

先日、シチロカ合同会社ソーシャルデザイン事業部の廣田さんに障害者雇用に関すること、彼女の想いなどについてお聞かせ頂いた。

シチロカのHP:https://shichiroca.com

とても勉強になるとともに、心が動かされたので文章にしたいと思った。

障害者雇用についての話題でよく目にするのが、法定雇用率や特例子会社に関する話題であるが、自身が表面的にしか出来ておらず、新たな気づきを頂けた。

法定雇用率の数値目標は数十年をかけて高まり、現在は2.3%である。目標を達成している企業の割合は数十年間50%弱前後で推移している。雇用率の数値目標が上昇し、達成企業の割合はほぼ横ばいということは、実際に雇用される障害者の数は増えている。この点においては、共生社会、インクルーシブな社会に向かって順調に進んでいると言えなくはないと思う。これには特例子会社の存在が大きく寄与していることも推察される。

特例子会社:障害者の雇用に特別な配慮をし、障害者の雇用の促進等に関する法律第44条の規定により、一定の要件を満たした上で厚生労働大臣の認可を受けて、障害者雇用率の算定において親会社の一事業所と見なされる子会社である。

特定子会社というのは平たくいうと、企業が障害者の雇用率を達成するために作った会社。完全に正確ではないだろうが、多くの場合がそうであるという想像は大きく外れていないと思う。

「障害者の雇用率を達成するために」この部分に廣田さんは違和感を感じているとのことだ。障害者雇用の促進というのは共生社会、インクルーシブな社会を実現するための一つの手段に過ぎないはず。それなのに、いつの間にか、法定雇用率の達成(それによる企業イメージの低下などの防止)が自己目的化してしまっていることを彼女は懸念する。

全ての特例子会社がそうではないだろうが、現実として、その企業の本業とは全く関係のない仕事を用意し、そこで多くの障害者が管理者の元、仕事をするという構図が多く生まれているようである。

更に、農園などを借り上げ、そこで障害者に働いてもらえる環境を用意し、企業との雇用契約を結ぶ代行をするコンサル企業などもあるとのこと。お金を払ってでも法定雇用率を達成したい企業と、諸々の手間を代行するコンサル企業との間でバッチリと需要と供給のバランスがとれてしまっている。障害者も健常者も混ざり合って仕事をするという、本来の理想とはかけ離れているのかもしれない。

仕事をする上で一定のハンディキャップを持った方を雇用するために、様々な調整をしていることは大変素晴らしいことだし、上記のような特例会社やコンサル企業があることで、お金を稼げている方がいるのも現実なので、一方的に批判をするつもりはないが、雇用率の達成に留まらず、次の段階にアップデートしていくことも必要ではないか。そしてそのことをもっともっと社会全体のISSUEにしていくことが望ましいと考える。また、障害者と健常者が共に仕事をする上で大事なキーワードとして”合理的配慮”がある。

合理的配慮:障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものを言う。

つまり、障害者の方に一定の配慮はしなければならないが、話し合った上で、出来ないことは出来ないと言えることも重要と読み取れる。

廣田さんは、この点を(特に)人事担当者、障害者の双方が誤解(求められると答えなければならない、もしくは何でも要求しても良いと)していることがあるのでは?と心配する。特に人事担当者が障害特性などを知らないことに起因する、過度な心配ではないかと。

人は知らないものには不安を抱きやすい、そして多くの場合においてその不安は過度であることがほとんどだと思う。「まずは障害特性を知ること、そして、障害者としてではなく、一人の社員、人間としてその人と向き合い、諸々の調整を行っていくことが大事である。」と彼女は言う。よくよく聞くと当たり前の話であり、障害者だろうが、健常者だろうが両者の関係性の中で様々な問題が生じる、それでも対話を通じて解決していくプロセスは人間が人間たる上で不可欠な営みではないか。

”わがまま”なのか”わがままではないのか”そんなものに紋切り型の答えがあるはずはない。今の世の中、経済的なインセンティブによって駆動される力学はまだまだ大きいと思う。なので、政治や行政や福祉が介入し一定の目標を設定し、時には罰則を設けることで社会をより良い方向に導いていく、そんなやり方も悪くはないだろう。ただ、人間社会がどう在りたいのかを考える時には、過度に経済的なインセンティブの尺度を持ち込むべきではない場面が存在することも確かだと思う。

多様性が包摂された社会・組織は付加価値の増大という面で生産的であると言う主張もある、ただ、それはそうなることもあると言うことに過ぎないと思う。彼女も(多様性が包摂されると生産性が上がるかと言う質問に対し)「それは分からない。」とはっきりと言う。

そう、分からないのである。生産性が上がらないことはやれない、そんな人間社会ではあって欲しくないと切に願う。

真の共生社会、インクルーシブな社会をつくるという彼女の挑戦は決して楽な道のりではないと思う。そこには、大人の世界での常套句”とはいえ”に多くぶつかると思う。

「”とはいえ”のない社会をつくる」との力強い彼女の発言に心を打たれた。微力ながら応援し続けたい。

最後に、障害と表記するのか、障がいと表記するのか、議論が分かれることもあるが、障害は個人に帰属するものではなく、個人と社会、もしくは個人と個人の間に存在するものであると考えている。間に起きている取り除かれるべき問題という意味で敢えて「害」という字を使っていることを補足させて頂く。


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