【努力教の熱狂的な信者だった私が改宗した話】
2024.03.15 代表ブログSFC出身の方の「努力」に関する投稿でXが盛り上がっていて、「あぁやっぱりあの学校の人は」と書かれていたので自分の事を振り返って私もXで書いてみました。↓
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SFC出身の私は熱狂的な「努力教」の信者でして、やりたい事に向かって頑張るのは当然、頑張らない人は人生をなめている、と思って過ごしてきました。仕事でも成果を出して昇進して、「頑張れば何でもできる」と思っていました。しかしながら私のそのような姿勢は反感を買い、バッシングも受けました。
そして「努力教」教徒としても挫折に直面しました。最初の挫折は、結婚して専業主婦になった時です。せっかくだから努力してカリスマ専業主婦になろうと思ったものの、全く家事を上手にできず、家事を頑張ろうと思えませんでした。
コンピテンシー不足を痛感し、適材適所の仕事をしている自分を客観的に見ても、明らかに向いていませんでした。そして家事業務が得意な夫に業務を巻き取られ、家庭内半失業状態となりました(食事だけ私が作ってました)。
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さらなる挫折は、子育てでした。頑張って努力しようとするほど、うまくいかない物です。親の計画通りには子供は育ちません。離乳食を頑張って健康を気遣って無添加手作りでの離乳食を作れども作れども、全く食べてくれませんでした。都はるみの名曲、「北の宿から」のメロディーで「食べて~もらえぬ~離乳食~ 涙 こらえて 作りーまぁぁすぅぅ」と毎日うたいながら作っていました。
そして最大のパラダイムシフトは、子供の中学受験の時にやってきました。私は敬虔な努力教信者のため、小テストや組み分けテストがあれば勉強するのは当然だと思っていました。20個しかない漢字の小テストなんて、そのための勉強をしない、という世界がある事も知りませんでした。
しかし、子供はやらない子だったのです。小テストがあるのに勉強しないのです。それで点数が悪くても平気なのです。ちょっと意味が分かりませんでした。しかも「漢字の勉強はやらない事にするわ」と宣言してきました。「どうせ配点は1点とかだし、入試で何が出るか分からない漢字より算数で点数が高い問題の勉強をしたほうが効率がいい」という言い分でした。全く意味が分からないので「1点を笑うものは1点に泣くんじゃ」と言い聞かせました。しかし、なんという事でしょう。塾の先生に相談しても「いいんじゃないですか?じゃぁ漢字はテキスト半分だけやれば」と子供に同調してきました。私は混乱をしました。やるべき事をやらない受験というものがこの世の中にあるのか。そしてそれが受け入れられる世界があるのか。
それでも先生は志望校に「受かりますよ」と言いました。そして実際に、受かりました。
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「最大限の努力をして人生を成功させるものだ」という世界観が全てだと思って生きてきた私にとって、人生の様々な出来事や出会いが、「そうでもないんだよ」「他にもいろいろな世界があるんだよ」「”努力の仕方”も色々とあるんだよ」と教えてくれました。
熱狂的な努力教の信者でなくても、楽しそうに、幸せそうにしている人も沢山いるという事に気が付きました。
私の考える「努力」とは違う形の「努力」もあるし、そもそも努力に対する考え方とか意味合いが違っている人もいる。そこに重きを置かなくても全然問題ない人もいる。
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まだまだ私の中に努力教の部分は残っていますが、自分自身を成長するには良い面もあると思っているので、自分に対して努力教のエッセンスを活用しつつ、またそれとは違った形で人生を生きている方たちの事もリスペクトしつつ、そうした人生観の違いも楽しめるようになってきていました。ビバ人生。
以上、熱心な努力教の信者だった人の振り返りでした。
オチはないです!期待していた方、すみません!
(イラストは1月に近い内容で出演したイベントのものです。いろんな出来事があって、世の中の見え方が変わっていきますね。その流れもまた、人生として豊かだし奥深くてやっぱりビバ人生ですね←結局はそこになる)
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