命の別名

2024.02.21 マガジン

最近、友人が自費でこれまでの人生を綴った本を出版した。

彼の外側で起きる事象と、それに呼応して揺れる内面について、飾らない言葉で生々しく表現されており、彼の壮絶で壮大な人生を追体験することが出来た。
そこには与えられた命への没入感があった。

最近、没入感を感じられないことがしばしばある。没入感を自分の中で強く認識してしまったせいなのかもしれない。

そんなものを認識の対象とすべきではないことは、頭では分かっている。
没入している人は没入どうのこうのなんて考えていない。

新しい知識を覚えるたびに、認識は広がっていく。一方で、ある種の絶望も増えていく。

繰り返される過ち(環境汚染や人権侵害などの分かりやすいものから、日々繰り返される暴力の形をしていない暴力など)に絶望するとともに、自分もその加担者なのだと認識する。
その絶望を癒すために、また知識に縋る。

地球の悠久の歴史、生命の誕生、カンブリア紀の大爆発、遺伝子にびっしりと刻まれた本能などに思いを馳せる。
そうすることで、人の日常を物凄く引いた視点で見ることが出来る。
生死の継ぎ目、輪廻の無残にも驚くほど鈍感でいられる。
知識のお陰で、居心地のよい場所に自分を保っていられる。

この居心地の良さに安住している自分は冷笑的である。
大げさに言えば、命を燃やすことを放棄して安住を手に入れている。

思考の枠にシェルターのような場所は必要だが、その割合が増えすぎると違った苦しみを生み出す。

僕はそれほど熱い人間ではないと思う。それでも、冷笑的な安住に甘んじる自分は好きではない。蘊蓄ばかりを並べる自分に嫌気がさすこともあるし、こんな文章を書いて自分の思慮をひけらかそうとする自分の功名心に気づき、反吐が出ることもある。もっと、目の前のことや目の前の人を大切にして、日常の機微を味わいたいと思う。

そのために、“誰かの役に立たないと自分には価値がない”という幾ばくかの焦燥感を利用させて頂こうと思う。
僕がいることを喜ぶ人がいてほしい。

命に付く名前を「心」と呼ぶ。
そんなフレーズを思い出した。

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