当事者意識を持つことが大事とは言うけれど、そんなに簡単じゃないよなと思った話

2021.06.23 お知らせ

COOのFです。

先日、反原発活動に関するドキュメンタリー映画の上映会に参加しました。
映画を鑑賞し、その後、その映画を撮った監督と対話をするというものでした。

その映画では、反原発活動をされている方の3.11の原発事故がきっかけで、自宅に帰れない生活を余儀なくされたことの葛藤や、新橋や銀座で街頭演説をしても多くの日本人が無関心であることへの憤りのようなものがリアルに描写されていました。

上映会に参加し僕自身の無関心さに気付かせて頂きました。
と同時に、ある種の違和感を覚えました。

映画の終盤で、反原発活動をされている方がインタビューで、(ご自身の訴えに足を止めない群衆のことを想起し)「日本人は政治に無頓着でバカだ。」という主旨のことを発言されていました。それに対し、他の上映会の参加者は「当事者意識を持つことが大事ですよね。」「自分も当事者意識を持つようにしたいです。」といったことを言われ、参加者と映画監督との共感がその場を支配していました。

原発に対して当事者意識をもっていなかった僕も、この会をきっかけに映画を観る前の自分よりは当事者意識を獲得することが出来たことは間違いないでしょう。
それはそれでとても良かったと思います。

先に述べた違和感とは、「そんなに当事者意識って簡単に持つことが出来るのか?」ということです。

たまたま(といっては失礼ですが)この反原発を訴える方は、自身が原発事故により、家を追われた経験があるからこそ、当事者意識を持ったのではないでしょうか。

では、この方はサブサハラの貧困問題に対し、シリアの少年兵問題に対し、黒人差別問題に対しどれほどまでに当事者意識を持っているのでしょうか。あなたのことを無視した、新橋や銀座を歩いていた方は、あなたと違った当事者意識をもっていたのではないでしょうか。

別にこの活動家の方を批判したいわけではないです。

これだけ社会課題が山積する状況で、すべての課題に対し当事者意識を持つことなんて無理でしょう。
でも放置する訳にはいかない。
これはもう、‘‘気付いた人の責任‘‘であり、当事者意識を少しでも持つことが出来た人が周囲を平和的に巻き込んでいくことしか解決手段はないと思います。

‘‘当事者意識のある私‘‘と‘‘当事者意識のないあなた‘‘という分断からは何も生まれません

知らない人には知ってもらう、一歩踏み出せない人には背中をそっと押してあげる。(例えば、クラウドファンディングなどで誰かを応援すること、社会課題に関するイベントに参加することなども、大きな一歩だと思います。)

そうやって少しずつ、社会を良くしていくしかないのだと思います。

また、自身の生活を守ることに精一杯で社会課題のことなんか考える余裕がないという人も現実的には多くいると思います。そういった方を責めたところで何も変わりませんし、そういった方は何らかの社会課題による被害者という側面を持っているかもしれません。

そんな中で今何が出来るか、少しだけ考えてみたいと思います。